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現地でのエピソード 第三話~肝移植~ 2019年03月07日

今回は肝移植についてお話します。
肝移植は余命が差し迫った人が対象となるので私共も日々緊張の連続となり息が抜けません。
それだけに手術が成功し、健康を取り戻された姿に接すれば感激もひとしおで、ご家族と共に涙を流すこともしばしばです。
しかしその一方、命を落とされる方がいるのも現実です。やはり記憶に強く残るのは命を助けられなかった方々です。今でも当時の事が脳裏に浮かび断腸の想いになります。
10年程前の話になりますが、アルコール性肝炎で入院されている患者さんの相談でした。余命は半年前後と思われる症状で、本人は強く海外での移植を望まれていました。何回か電話でやり取りをして、費用など具体的な話を進めましたが、ひとつ大きな問題が生じました。それは命に係わる事なので慎重に進めるべきとの考えからご家族の同意が得られない場合は引き受けないとのルールを私共はしております。
依頼人の並木さん(仮名)にその件を話すと『それじゃ母ちゃん(奥様)と息子に話しておくから。母ちゃんはダメかも知れないが息子なら、多分大丈夫だよ』との返事でした。
私は年の半分は海外に居るので携帯電話の番号を伝え連絡を待ちました。しかし2~3週間待っても来ず、やがて並木さん本人から『電話は入ったか?』と尋ねてこられたので『まだの様です』と返すと、今日二人とも見舞いに来るのでしっかり言っておくとの話でした。すると翌日の夕刻奥様から電話が入りました。『主人の相談に応じて下さりありがとうございます。』ゆっくりと落ち着いた口調でとても上品に話される人でした。ただ奥様が言われた事は『主人は人様の臓器を貰い受けて生き延びる資格の無い人間です。どうか主人が貰う予定だった肝臓を他の方へ差し上げてください。主人ではなくもっと命を救わなければならない人が居る筈です。そちらの方の命を助けてあげて下さい。』と、声は震えており余程覚悟を決められて話されている様子がこちらにも伝わって来ました。
しばし私も茫然としてしまい、どうしたら良いものか迷っていた矢先、息子さんから電話が入りました。息子さんも礼儀正しい方で丁寧な挨拶の後に『父が望まれているのであれば、例えリスクがあったとしても海外へ行って生き続けるチャンスにチャレンジして欲しいと思っています。』と賛同を得られたのですが『母から電話はありましたか?』との問いに私は『はい』と答え『それで母は何と言っていましたか?』と聞かれたので一瞬戸惑いながら『実は臓器を貰う資格が…』と話をすると息子さんは黙ってしまい、暫くしてから『そう言ってましたか…父は母を物凄く苦しめたんです…』と話されました。どうもお酒だけでなく他にもあるような話しぶりで、絞り出すような声で『母の考えを尊重したいと思います。』との事でした。
奥様息子様と相談し並木さん本人には家族の同意は得られたが、ドナーが見つからないとの理由で断る形で最終決定となりましたが心は重く直ぐには伝えられずいました。しかし数日後、並木さんから電話があり『菊池さんどうだった!!』と聞かれ『奥様はね、すごく心配されていましたよ。もし助かるチャンスがあるならお願いしますと。』並木さんはそれを聞くと同時に『母ちゃんがそう言ってくれたか!!』と言うなりオイオイと泣き出し何度も何度も『母ちゃんが言ってくれたか~』と受話器の向こうからむせび泣く声を私は目を閉じ暗たんたる想いで聞きました。その後本人はこれで命は助かったと、出発の催促をしてきます。最初の内はドナーや外科の都合と言い訳をしましたが、その内本人の体調も悪化してくるので、段々焦ってきます。それから、何度も何度も着信があるので、私も電話に出るのを止めた時がありました。しかし、1週間も過ぎると、何とも居た堪れない気持ちになってしまい電話に出ると、わ~とばかり泣き声で、暫く話が聞き取れず『どうして電話に出てくれないの~。生きる望みは菊池さんしかいないんだから…。』ここで私は意を決して、この方が亡くなるまで電話応対だけはしなければと心に決めたのです。それはNPOの活動としてではなく、一人の人間として最後まで接するのが人のあり方だと思ったからです。そう気持ちを切り替えたら、私の心も少し軽くなり、手が空いている時は朝でも夜でも電話に出る事にしました。会話も並木さんの仕事の事や若い時の話など、移植以外の話題へ広げ、その際に奥様が大変な令嬢であった事や息子さんも並木さんと同じ大学を出られた事、大手電機メーカーに勤務されているなどの話を聞いたのです。私が話し相手になる事で、並木さんの心が少しでも軽くなるのであれば、それはそれで良いと思いました。
 ある日、夜明け前に並木さんから電話があり、いつものように他愛のない話を20~30分し、またいつものように最後は『それで、移植の件は忘れちゃダメだよ』私はいつも通り『分かってます!病院からドナーの知らせがあったらすぐに出発ですよ』と返し、続けて『並木さん、今何時だか分かる?』え!何時?『今は4時半ですよ』と言うと、並木さんは『朝の?夕方?』と聞いてきました。病状が進み、脳症により昼と夜の判別がつかない状態にまでなり、数週間が過ぎた頃でしょうか。息子さんから電話が入り『大変失礼な質問なんですが、今からでも海外へは行けるものなのでしょうか?』私は『もう歩けないので移植のタイミングは逃してしまった。(国内の生体は可能性あり)』と答えると、息子さんは父の死が、いよいよ現実となってきたので少し後ろめたい気持ちになられた様でした。これはよくあるケースで特に、自分がもしドナーになっていれば助けられたかも。そんな気持ちから死の直前になって戸惑う人もいます。(詳しくは第四話に記述します。)並木さんからの電話はある日を境に途切れました。アルコール性肝炎の患者さんは家族からの同意を得るのはかなり難しいです。それは『これ以上呑んだら死にますよ』と医者からも家族からも何度も言われているのにも関わらず、飲み続けて肝臓がダメになって。それで海外へ移植など、とんでもない話だとなってしまうからです。
また並木さんの一件からさらにさかのぼること二年ぐらい前に、こんな事がありました。とある海外の移植センターにて肝移植の主任ドクターと夕食していた時、私の携帯が鳴りました。電話の相手は20年来の友人であるМ弁護士先生からでした。 
『菊池君!突然の話なんだけど甥っ子がすぐに肝臓移植しなければ助からないんだ。何とかなるかな~。』
話を聞けば患者さんはまだ31歳と若く、病名はアルコール性の肝硬変で末期の状態であり、既に歩く事も出来ない病状との事。運よく目の前に肝移植の専門医と食事していたので相談したところ、先生はあちらこちらに電話して『O型以外だったら2週間以内に手術ができる可能性が高いので、直ぐに連れて来なさい』この言葉に色めき立ち『ありがとうございます!』と言うなりМ先生にそれを伝えると、先方も興奮した声で『よし分かった!ありがとう!』食事も早々に緊急搬送の手配等、スタッフと連絡を取り合い準備を進めていた頃、数時間後にМ先生から電話が入りました。先程とは一転して重く沈んだ声で『今、妹(患者さんの母)と色々話したんだけど、甥っ子はこのまま逝かせたいと言うんだよ。詳しい事は会った時に話すが、家族を相当困らせた様だよ…。』このケースも生死の最終選択は本人ではなく母親がされました。
肝移植の場合、患者本人が病状を把握して、唯一、健康を取り戻す方法は肝移植しかなく、その成功率を高めるには基礎体力がしっかりしている早い段階で移植するのが最良であること。また、親族間の生体部分移植より、死体から丸ごと肝臓を摘出した全肝移植の方が優れている事を承知して、私どもに相談に来られる人は少ないように思われます。
 第四話~家族の葛藤~、第五話~患者の葛藤に記述したいと思います。
※アルコール性肝硬変の患者様は他の肝不全の患者様に比べ、アルコールを断ってから半年以上経過し且つアルコールを摂取することが無いと認められないと、移植適応にならない場合があります。末期の肝不全の患者様は、残された時間があまりないケースが多く、ついこないだまで元気だったのに容態が急変し、『もう少し早く相談を貰えていれば。。』という事態が多々あります。基本的には本人の意思を尊重し命を救う方針で活動を続けておりますが、ご家族の立場・事情も汲み取りつつ、命に関わる問題でもあるので、非常に考えさせられる場面が多いです。



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